Profile   Shinya Uemura          
            植村 真也          植村語録                 


 小学生の時、父に連れられ、大人にまじって、野球を始めたことが原体験としてある。
 中学では野球部に所属、以後、野球に夢中になる。
 自ら高校を見つけ、野球留学を決断、長野県の天竜光洋高校で、恩師の佐野龍一先生に出会い、本格的に野球を学ぶ。なお、天竜光洋高校は、後に県立へと移管され、現在、松川高校。

 ※佐野龍(竜)一先生は、長野県出身で明治大学野球部出身。星野監督など数々の有名選手を育てた島岡御大こと島岡吉郎監督に師事し、若きエリート指導者の道を歩み、多数の優秀な選手を育てあげ、退官後の現在も地元の中学生を育成するなど、指導歴39年を誇る。その功績を称えて2006年、朝日新聞と高野連から「育成功労賞」の表彰を受ける。

 高校では、合宿生活と練習、野球部の厳しさを経験し、長野県随一のスラッガーに成長。甲子園進出はできなかったものの、3年生の春には長野県大会で優勝し、北信越大会の決勝では、湯上谷投手(南海ホークス)率いる石川県の星陵高校に惜敗し、準優勝を飾る。

 その後、セレクションで大阪経済法科大学(阪神リーグ)に進み、1回生からレギュラーを獲得し、活躍した。

 大学野球で活躍するも、やはり、植村の球歴を語る上で佐野先生は、かかせない。
 植村は、中学生のチームを創る今も、その教えを請うほど、熱心かつ優秀な教え子の一人。
 佐野先生の門下生には、選手はプロ野球、社会人、実業団、クラブチーム、大学野球はもとより、それらのチームの監督・指導者やプロのスカウト、トレーナーなどになり才能を発揮している。
 彼らは、植村自身の直接の先輩、後輩にもあたり、そういう意味で、植村監督は幅広い人脈を持っており、恩師の影響を受けて、中学生の指導者に憧れ、当チームの小学部コーチを経て、現在に至っている。         
                          

植村語録
@今の自分を見て判断したらあかん、限界を感じる年やない!
一緒に野球やろな。

 「高校生でましてや小学校や中学で「限界」を口にして、野球を辞めたり、野球部を退部するヤツがおるが、信じられへん。そんなところで、限界感じることあらへんて。俺がそのええ例、中学時代、守備も下手で、足も遅く、体も太ってた俺、高校行ってその厳しさに辞めそうになったこともあったけど、もし、中学で野球辞めてたら、その後の野球人生はなかったし、いい指導者にもめぐり合うことがなかった。今はまだ、センスがないとあきらめる年齢ではない。練習してたら、伸びるときが必ず来る。そう自分に信じてほしい。そやから今の自分を見て判断したらあかん、限界感じる年やない!!一緒に野球やろな。」
 ※自分自身の経験があるからこそ、植村は、どんなに上手くない選手にも、優しい眼差しを向け、時には厳しく、そして、構えることなく自然体で指導ができるのである。