選手カルテ1 選手物語@ 選手の成長と保護者愛情考

一通のメール

 先日、大泉草太のお母さんから香川西高のスポーツ推薦の試験に合格したとのメールが入ってきました。私にとっても「草太がここまで来たか」と実に感慨深い出来事なのです。

 チームとしては、今年の3年生はスポーツ推薦はないだろうと高をくくっていました。というのも、進路希望は全員、府内公立高校が目標でした。(結果、スポーツ推薦は8人中5人)

 草太は夏の甲子園、中京大中京VS日本文理の決勝戦を甲子園で見た瞬間、「甲子園に行ける学校に行きたい」と強く思うようになり、あれこれ探したそうです。

 縁あって、今回、2003年以降、3度の夏の甲子園出場を誇る香川西高校を紹介され、本人の強い希望で試験を受け見事、一足早い合格の報を聞いたのでした。

 しかし、草太は、正直言って、「野球留学」の第1号になるとは誰が想像したでしょうか。実は、ここまで来るには色々ありました。草太のエピソードを語ることで一人の人間の人生を野球が変えたことを紹介し、こどもは成長するものだということを考えてみたいと思います。

一本の電話
 
 草太が入部したのは、Jボーイズが連盟に認可されチームとして始動した4月の一か月遅れ、5月でした。平日の昼間に1本の電話がかかってきました。
 普段、平日、自宅にいることはないのに、その日はたまたま、私がいて、平日の昼間にかかってくる電話は、押し売りなど、ロクなものがないので、電話をとるかとらないか正直、迷っていたのです。

 何かが私に囁いたのでしょうね。電話をとると草太の母から「ホームページを見たのですが、全く野球をしていなくてもできるのでしょうか?」という見学の申し出でした。当時も今も見学の電話は嬉しいものです。その時、電話をとってよかったとつくづく思いました。それが草太との出会いにつながりました。

 体験の時には私は居合わせませんでしたが、その日のうちに連絡が帰ってきて「入部したい」ということでした。監督に草太の体験の様子を聞くと野球の恰好もしてきておらず、びっくりしたとのことでした。でも、ここが植村監督の良いところで、入部したらなんとかなると思うので勧誘してくださいとのことでした。

その名も忍者 やることなすこと電撃で 

 草太は、野球をしたことがなかったのです。野球部に入ったものの生ぬるく満足できなかったので、ホームページを見て入部を決めたそうです。実際、やることなすことが滅茶苦茶でした。それもそのはず、野球未経験なのですから。ただ、動きについては、他の選手では比べることのできない、瞬間の動きが速い、スピード感を持った子どもでした。

 当時、初期のJボーイズには甲子園で優勝したこともあり、アマチュア球界の王道を歩んだ金澤コーチがいました。その金澤コーチから足の速さと走り方、そして、「不細工な恰好」で「忍者」「忍者」と言われ好かれました。それで、すぐにチームの人気者になりました。50メートルを5秒台で駆け抜けることができ、まさに忍者みたいな走りでした。その容姿は不恰好で野球選手には到底見えません。そんな2年生でした。

甘やかされて育った  自分で考えてできない子ども

 草太は、幼少時代から母と姉に可愛がられて育ってきました。お母さんの草太に接する態度を見て、現在の家庭ではあまりない、愛情に恵まれて育ってきた。すごくよい境遇で育ったことが私の目にもすぐにわかりました。

 ですから、実に気立てのよい、素直で優しくて誰からでも好かれる友達の多い子どもです。ただ、そこに落とし穴もあります。今だから、言えることですが、始めての夏の合宿で草太に関してある事実を発見しました。それは2年生夏でした。

 すべてに一人で考えて行動をとることができない。す