チームカルテ7. 
今年のチームスローガン「強くなれ!強くなろう!」

 大変、ご無沙汰の更新です。読者の皆様からお叱りの声が届いています。もっと更新しろってね。
すべては、私の怪我から始まった 
 4年ほど前の暮れ、チームは同好会で人数も集まらず、中学部を作るといったものの目途が立たず小学部には指導部3人が中学部同好会に回り、だいぶ揶揄されて、中学部同好会は、お荷物的な存在でした。

 その4年前の12月、小学部恒例のOBソフトボール大会は、イベントでもあり、私はかなり、お酒も回っていたのにバッターとしてボテゴロのヒットで出塁。リードを大きくとって帰塁する時にスパイクの金具がベースの隙間に挟まり、そのまま転倒したため右足の靭帯を大けがしてしまい、職場も休職となりました。
 野球の神様が私に考える時間を与えてくれたのです。そう思いました。
 選手もまったく集まってこないのに、この時は、ずーっと中学部設立の夢を描き、毎日に近いほど電話やメールで監督とチームの構想を練って、監督が見舞いに来てはチーム設立についての夢を何度も何度も語りあいました。その翌年4月、チームは14人で見事設立を果たすことになりました。夢が実現した時でした。

 そして、その1年後のOBソフトボール大会で私は、またもや左肩にデッドボールが当たり大アザが出来ました。この時も私はみんなにウソぶきました。「俺が怪我した翌年はチームにいいことがある」と。そして、年が明けたらたくさんの新入部員が入ってきてチームは活気づき、基盤整備の時期を迎えたのでした。

 時は流れ、昨年、関西秋季大会支部予選、支部最強の忠岡ボーイズをあと一歩まで追い詰めた、そしてまたもや高石大会で対戦、まったく同じ展開で先制、追いつかれ逆転負け、接戦で2度も敗退してしまいました。

今回は入院騒動 きっと何かが起こる
  実は、関西秋季支部予選で忠岡戦の時、私は持病の扁桃腺が腫れて高熱でした。倒れそうなときに試合はしびれる展開、負けた時には精根尽き果てました。そして、その翌日、緊急入院してしまいました。2日間ほどは食事もできず点滴していました。元気が出てきましたが、病院で何もすることなくチームのことばかり考えていました。そんな時、ふらっと植村監督が病院に見舞いに訪れました。ベッドの横でこの4年間のことや、今までに考えていたことをお互い語り合いました。

 不思議なことに監督と似たようなことを考えていました。そして、またもや思ったのです。来シーズン、つまり、今年はいいことがありそうだと。だって、私が傷ついたときは、チームにいいことがあるから。きっとね。何かが起こる、しかもよいことが、そしてチームが活気づくのです。 
 
今年はダブルエースを中心に
 病の淵で考えたことは、今年のチームは、ダブルエースを前面に押し立てられること。つまり、投手力はダブルサウスポーで試合が読めること。ある程度は、計算がたちます。そして、忠岡戦で感じたのは、打力が必要であること。4点とれば勝てると思いました。

 今年は、投手力がいいので、あとは打つだけであり、徹底的にバットを振らせることができれきば活路を見いだせます。つまり、当初、監督と夢見た理想的なチームができると考えたのです。監督も同じことを考えていたみたいです。