チームカルテ8 ぜーんぶ勝っちゃいました。第5期生卒団!!  
 2012年9月15日、第5期生 17名の卒団式が行われました。この学年は、昨年の冬が来る前に植村監督と話し合い、合宿で最終学年のチームのスローガンを「強くなれ!強くなろう」を掲げ、2枚の投手を中心に計算できるチーム作りのもと、打撃とセンスの強化を目指して、精神的にも追い込んだりができるチームでした。もちろん、2人ピッチャーを頼り切ったことで、反省もありますが、よく、選手が応えてくれて、本当にいいチームが出来ました。強かったチーム作りのため、全然、試合にでれない選手もいて、クラブチームとして立ち上げたJボーイズの精神から少し逸脱したところもあり、その辺は私が皆様に謝らなければなりません。しかし、下積みの選手もよく支えてくれたことが経験としてきっと役に立つことがあると自信を持ってください。そして、全泉州大会では
「ぜーんぶ、勝っちゃいました」、初のローカル大会優勝、メダルの獲得をなしました。
 他にベスト4、ベスト8進出がともに3回、年間20勝を成し遂げました。これらの成果は、戦績としても残りますが、何より選手の記憶に残り、苦労と喜びに感謝する日が来ることでしょう。その過程が1番大切です。ここまで、決して順風満帆ではなかったし、私たち指導者も苦労した学年です。しかし、第4期生、第5期生があって現在のJボーイズの確立があります。その辺の私なりの苦労話をしていきたいと思います。チーム内の方は思い出してみてください。チーム外の方にオープンにチーム事情をさらしても、わけがわからない楽屋ネタですが、チーム運営している方には経験したことや参考になることかもしれません。
Jボーイズは、身内に甘いのか? そんなこともでましたが、決して、そんなことはないです。
 2年前。チーム創設期の中で人数が少なく思うように指導できなかった第3期生が卒団した後のことです。
 ようやくチーム作りができる人数が集まり(第4期生18名入部、第5期生20名入部)、順調に練習もでき、相手チームからも認められるチームとなってきていました。
 しかし、当時、最高学年の第4期生にはコーチの息子が、そして、この第5期生には監督の息子が選手にいました。練習試合や大会での起用法について、保護者の方から批判と「やっかみ」の声が保護者代表だけでなく私にも伝わってきました。さらに以前からありましたが、Jボーイズ小学部出身の子どもを優遇して使うのではないか?これは、当の小学部からも声が聞こえてきたので困った状態と思えました。

 監督は最高学年を指揮していましたので、自分の息子の事は一切、タッチせず、金谷コーチに下の学年を任せていたにもかかわらず、そんな声がチーム内には充満していました。また、コーチの子どもが、守備が下手なのに常にレギュラーで出ていたことについての疑問も頻繁に聞こえるようになってきていました。監督もコーチもこの時は、大変つらい思いもしたし、私にも保護者から信用できないとの声をいただきました。何べん、ホンマに辞めたろかと思ったことは、第4期生の卒団の時に書いていますので参考にしてください。
 で、実際、身内に甘く使ってきたのか?そんなチームではないです。その後の展開に誰もがチーム内では納得するのではないでしょうか?

辞めたい子が続出にも、我慢してきた
 こんな中で、保護者の中には家庭内でチームのボヤキや、指導者の采配や選手起用などについて、多分、こぼしていたに違いないと思います。子どもはその話に賛成したでしょうか?恐らく純真な子どもたちは傷ついていたのではないでしょうか?

 私には確信があります。保護者がチームの悪口を言うと必ず子どもたちには迷いが生じるものです。活躍できないなど悪循環に陥ると思います。恐らくですが、一種の確信を持っています。

 で、そのうち活躍できないでいると、どういう状況になるかというと、「辞めたい」と言う子どもが必ず出てきます。
 その時に、親がどう動くか、気づくかにかかっています。最後の最後、Teamを信用してほしいのです。辞めたいという心境は一時的なものなので、のちに活躍した選手、目が出た選手の多くは、この心境から脱却して行くものです。少なくともJボーイズは、そんな選手の集まりです。

 この頃から、親御さんがチームや私の方針を信用できないとして辞めた選手が出始めました。私の方針は子どもではなく、親がチームを信用できない、合わないと言った方は追わないという方針です。選手だけが辞めたいといった場合は、必ず、辞めないような努力をしてきたし、実際、辞めなくてよかった選手がたくさんいます。
 話は、戻しますが、この時に、粘り強く対応した経験が今に生きています。私も辞めなくてよかったです。感情は一時のもの、本質は不変でブレないことが大切です。
 この時によく、監督に言ったものです。選手2人で選手が全然集まらなかったことを今でも原点にしたい。方針はブレないで通そう。思いはやがて伝わる。選手が2人になっても怖くない。今は我慢の時期とおもいました。

選手を使い続けるわけがある。
 先述、コーチの子どもをずっと使い続けたには、わけがあります。同年代の保護者にはエコヒイキニ映ったかもしれません。私は監督にはその話はしませんでしたが、周りから聞こえてきたみたいです。
 それは、監督の過去の経験が関係しています。監督も本人は上手くなかったといいますが、高校時代植村さんは、佐野監督に不振の時もずーと使い続けてもらい、自分自身もおかしいなと思っていたに違いなく、その時「ばーか、伊達や酔狂でお前を使ってない」と言われたことが今も心に残っていると言います。
 当時、コーチの子どもはミスを連発しますが、足は速くバッティングもいい、そして、何より、練習の時に向かってくる気迫がありました。確かにお世辞にも賢いプレーヤーとは言いませんが、はっきりしているのです。

 彼の名誉のために言いますが、学力は偏差値60以上で秀才。足は親父譲りでめっぽう速いのですが、猪突猛進で、私は将棋の「香車」と呼んでいました。ますっぐしか走らない。ベーランやランナーではミスが多かったというか、当時はまだ、野球を知りませんでした。だから、好プレーもあるが、ミスも多く、それらが周りの保護者から揶揄が飛んだ原因です。

 しかし、ミスに時にはめげても、この選手のように向かってくる選手は監督も指導者ならだれもが好みます。実際、ホームランもたまには飛ばす選手でしたから、他の選手と比べて使っていたのです。しかし、さすがにこの選手は一時、イッブスみたいになっていましたが、その時の経験が生きて、今や高校では1年生からレギュラーで活躍しています。つまり、使う意味があったのであり、コーチの子どもだから使っていたのではありません。

 今も、選手の技量や性格を見て、選手を育てていると思います。あまり、上達していない子どもに、怒る指導者は無茶ですし、チームを引っ張っていく選手にはこっぴどく叱っています。自覚を持てと「伊達や酔狂で」使っているのではないのです。

大きかった白仁田の加入 ダブルエースの誕生 
 第4期生が卒団するころには、チームの不協和音は収まっていました。5期生の辞めたいという選手も収まり、ちょうどいい時期に大正ボーイズから「大物ルーキー」白仁田の移籍がありました。
 エースの伊藤洸佑は、お山の天狗になりかける可能性がありました。打てないチーム、エラーで負ける、そして、その負けを一人で背負いこんでしまう状態に陥りかけていた時、それが新チームの船出前に鳴り物入りの白仁田が入ってきました。
 当然、伊藤はプレッシャーになろうとしていましたが、練習試合の時に、二人を呼んで、本音を伊藤にぶちまけました。本心、伊藤は躊躇してましたよ。白仁田の加入でエースの座を奪われるのかと。そんな伊藤と白仁田に「ダブルエースで行こう。ピッチャーは優勝するためには何人も必要。勝ち進まなければ、目立たないし名のある高校にも認められない」と諭したのです。伊藤母も内心は穏やかでなかったのですが、その日、帰った時に伊藤が私の言ったセリフをさらりと言ってのけ、母は安心させたと言います。気持ちを切り替えた日であり、ダブルエース誕生の日でした。

 また、白仁田は、そんな伊藤の気持ちをよく知っていて、ライバルというよりも伊藤を育てた選手であり、だれよりも伊藤の事を気遣っていまし、伊藤も白仁田を師匠に牽制の投げ方や気持ちの持ち方を指導してもらっていました。

 そんな、ダブルエースは、いつしか伝説のような二人で一人の「怪物」を生み出していました。他のチームからも高校の先生からもJボーイズにいいサウスポーがいるという評判が立ち、伝言ゲームなので、実際見ていない人たちが、伊藤も白仁田も好調、不調があり、一人の怪物サウスポーに仕立て上げられていました。ダブルエースなのに一人の優秀なサウスポーというふれこみになっていきました。

打線も向上、そして、全泉州大会優勝 
 支部の予選と高石大会で負けた忠岡ボーイズに惜しくも負けましたが、忠岡ボーイズはうちのダブルサウスポーを苦手としていました。打線もチャンスで打つなどしましたが、実際は守りなどの差で、逆転負け、悔しかったけれど、実力の差がチームにはありました。

 この2試合後に、チームは「強くなろう」のスローガンのもと、徹底的にしごいてきました。また、貧打の打線を徹底的にバットを振らすことによって、また、高師浜など、バッティング練習主体に練習を変更しました。また、コンバートもあり、控えの選手も出てくるようになりました。
 いつも、迷惑をかけていた打線が爆発したのが、全泉州大会です。なんと1試合平均、6.8得点。それまでの6試合平均が3得点ですから、猛打爆発とヒントは果敢な走塁にありました。積極的に行く自信が出始めたのです。
 わずか、創設4年にして、ローカル大会優勝となりました。
 強くなるだけが目的ではありませんが、こうなってくると誰もが、一体となってくるものです。

第5期生で完成されたチーム力=強くて優しい人間づくり
 この2年間、色んなことがありました。問題提起が多かった第4期生の時期。その選手たちも秋には、高校1年生で背番号を多くもらうことができています。
 そして、5期生の時代、色んな経験を積んで、私は、自分の信念が間違っていないと痛感していますし、驕ってもいません。しかし、これだけは言えます。私たちは依怙贔屓はいませんし、一人の子どものためにチームを運営しているのでもありません。野球を好きになってほしいし、野球の厳しさも知ってほしい。そして、高校でも大学でも野球を続けてほしいし、その一生懸命さにかけているのです。野球がうまくなくたっていいんです。一生懸命、情熱をかけることが出来たら。そんな私も下手の横好きでチームを下手なりに運営していき、こどもたちの成長の過程に携わりたいのです。

 この5期生で完成されつつあるチーム力。指導者もますます、磨きがかかっています。ようは、選手のやる気で、それをどこまで育て上げるのかにかかっています。
 しかし、中学生は実に弱く、打たれ弱く、誘惑にも負けるし、すぐに自信を無くすし、様々な弱さを持っています。つまり、甘えもありますが、優しい性格の子どもたちがほとんどです。それなりにうちのチームはよくやっていると思いますが、これからの課題は、その優しさや弱さをどうやって、強くて優しい人間を育てることができるのか。それがJボーイズの最終目的なのではないのでしょうか。だから、私は辞めることができませんね。