チームカルテ10 6期生に学んだ。真面目に勝るものなし  

6期生の時も集まりが悪かったけど、今年は危機的な集まり。どうしたの?
 先週、小学部の卒団式があった。今年は6人が卒団するが、ほとんどが軟式の中学校の野球部に行くという。なんのために小学部で硬式を経験したのか、思わずもったいないと感じた。自信がないのかもしれない。でも高校で野球をするのであれば、硬式になれてほしいので、軟式野球に物足りなさを感じたら戻ってきてほしいと願っている。

 今年はうちのチームへの新入部員希望が今まだに2名で、ほとんどない希望がない状態が続いている。多くが中学の野球部を希望しているとも聞く。創部始まって以来の危機的状況ではあるが、うちの小学部ですら、こんな状態なんだから仕方ないのかもしれない。

 また、身体の小さな選手や、身体能力があまり高くない子どもたちがうちのチームには数多く集まってくる。人気の一つでもあった。しかし、その多くがうちのチームでも思うように活躍せず、苦戦していることも関係はあるのだろう。

 ホームページではどんな子どもでもできると私の信念が理念として掲げられているので、少し期待はずれなのかもしれない。

 理念に偽りはないのであるが、昨年の22人のうち7人が退部するという、これも始まって以来の出来事に理念倒れとして性急な結果を求められたのかもしれない。

 だけども、そんなにすぐに結果が出るはずもなく、身体が出来ていない中学生の時代は慣れることを一番にしてほしいと願っている。野球はどんな子どもにもできるのである。あきらめない限りにおいて。それは私の信念でもあり、6期生、子どもたちが証明してくれた。

春は合格シーズンも、迷いの春、進路決めの春、不安の春でもある
 さて、話はそれているが、今年、卒業する6期生の受験合格の連絡が次々と届いている。その多くが高校野球をやるという。そのためにボーイズ、そしてうちのチームに入ってきたのだから。

 その6期生も、進路相談を始めた丁度、今頃の時期に迷いが生じた。小学校から何も考えずに漠然と野球をしてきた子どもたちに、始めて自分の人生と野球を問うことになったのだろう。焦る者、しんどい目をして高校でも野球をするのに自信がもてなくなったり、決まって動揺が生じる。

 親御さんたちもせっかくボーイズに入れたのに親がチームや子どもたちに協力して努力しているのに、わが子の「不甲斐なさ?」に対して焦り出したり、また、その逆もあるだろう。

 今年3年になる7期生もまた、そんな動揺の時期が今であり、バランスをかいている選手、自信のない選手、諦めモードの選手がいて、チームが中々一つにまとまっていない。

 成績の良いもの(300点以上の者)を除いて、うちのチームで公立希望の選手は、野球に自信が持てない子どもが多い傾向にあり、その公立進学の6割近くが、高校では野球をしていないことからもうかがえる。「俺、公立やから」と真剣にならずに諦めて野球をして、結果、高校で野球部に入らない子も多く存在している。

我々はプロではない、結果が全てではない。野球とは前を向くことを覚えること
 もう一度、原点に返って、なんのために野球をしているのかを考えて、自信のなさを練習にぶつけて自信に変えてほしい。公立であろうが私立であろうが、甲子園を目指してがんばっている。例え甲子園に行けずとも彼らなりの甲子園があるのです。

 野球は結果が全てと思われがちですが、その過程での苦しみやそれを通り越した喜びを楽しむので、野球は面白いんです。
それと、野球で何を学ぶのか、人生の厳しさの方がもっと辛い。後ろ向きにならないことを前を向くこと、前に向かっていくことを学ぶのである。ゴロを待ってとったり、下がってとったりすると、スルーしたり、捕っても暴投になったりなる。前でさばけば、難なくアウトにできるのである。


野球とは前を向くことを覚えるものであり、そういう姿勢で野球に取り組めば、きっと上手く行くと思う。

史上最低の学年、それが6期生?いや、歴代2位の成績
 大分と話がそれた。今年、卒業する6期生は、入団当初、身体が小さい、足も遅い、控えめな性格、とにかく、今までみた学年で一番、身体能力が低く(もっとも個人としては、うちの愚息が最低の身体能力であったが・・・)、しかも15人でスタートするもすぐに12人になり、人数も少なかった。

 だけども、歴代2位の勝ち星、歴代最多得点や始めて4回コールド勝ちを収めるなど、チームとして初ものずくしの快進撃をした。

 それと、ほとんどが高校でも野球をするという。その率で言っても多い方。だれが、入団当初、この6期生の活躍を信じでいたのであろう。多分、親御さんたちだけだったのではないか。それと私は信じてましたよ。

試練が彼らを精神的に強くさせた 7期生のおかげとは?競争の原理
 思えば、6期生は、上の5期生が選手権で優勝候補になるほど強い学年であり、下には7期生、当時25人の元気な選手たちが控えていた。

 新チームでの初戦は日本一の枚方ボーイズ相手に、1回の途中から、1年生が出場、2年生である6期生は多くが控えに回った。
親御さんからは、批判もあっただろうが、それはチームの作戦でもあった。

 当時、保護者の方にも私が檄メールで、6期生の置かれている立場を報告し、相当頑張らないと難しいと、選手たちにも私からチーム方針を伝えたが、辞めたいという選手も出てきた。

 私たちの思いが伝わらないことは多いが、春の阪南大会までこんな状態が続いた。春季大会も「負けに不思議の負けなし」と書いたように力を出せずに悔しい負け方。阪南大会もジュニアホークスになすすべもなく4回コールド負け。
 進路のことが、家庭で話題になり、選手たちにも迷いが出始めていたのである。とくに、親御さんたちの方が焦ったのかもしれない。

 そんな悪い雰囲気があって、5月の南大阪大会の前に私が選手たちに、監督の思いやチームの考え方を伝え、檄を飛ばした。その時、子どもたちに何か明るさが見えた。明るい顔になっていた。偶然か、この大会で何かをつかみ、初勝利した。南大阪大会悲願の初勝利は6期生だった。続く全泉州大会では、快進撃を見せ見事ベスト4となった。

 彼らの活躍は、下の学年の7期生のおかげでもある。直接的には、メンバーが少ないなかにあって、1学年下の7期生の川口や小森などが長打やタイムリーを打ったり、中谷の好守も目立った。しかし、実際はそれより間接的なことの方が大きい。

 それは、何か。やはり、下からの突き上げがあり、代えられたくない、下級生には負けたくないという、思いが選手には徐々に意識が付き始めてきた。そんな思いが選手権の後から湧き上がってきた。

 最高学年だからと言って出れる保証はない。スポーツは競争があって成り立っているのである。そして、期待していない学年が期待している学年の直接的、間接的な力と突き上げにより、期待していない学年が活躍する。そんな6期生を私は誇りにしたいのである。

 そして、その次の期待していた学年は、おうおうにして1回戦敗退とか期待外れに終わることが多い。なぜなら、2年で多くが出場しているから3年の時は、さぞかしうまくなるだろうと思えるが、実は、でていた選手は数人で、そのあとの選手が伸びてこなければ、ここには競争が生まれるどころか「俺れたちは下の学年の時からレギュラーだった」という過信が生まれるからであり、他に続く選手が多ければ、競争が生まれて逆転もあるが、そんなに選手が出てこないから、過信の中で成長の伸びが止まってしまうからである。7期生にはそんなジンクスを破ってもらいたい。現時点では、当初のレギュラーメンバーを含め、追いつく、追い抜くまでの成長はしていないように思える。

6期生は歴代bPの真面目さがあったから 6期生の思い出
 6期生が、活躍できたのは、下級生がいたから、それだけではない。身体能力は過去最低だったかもしれないが、恐らく真面目さは歴代1であった。確かに、2〜3人はフラフラしていた時期があったかもかもしれない、しかし、全員が真面目に練習に参加していた。

 例えば、阪口は我慢して練習や競争に負けまいとして痛さが増したのに頑張り続けた結果、オスグッドを発症。2年から試合どころか、練習に参加することもできなかったが、休まず夜練習も含めて真面目に練習に来てお手伝いをずっーと続けた。こんな立派な選手は過去にはいない。普通は辞めてしまう。親御さんも相当心が折れそうになったことだろうが、誇れる息子だ。

 キャプテン森大祐は、ショートを守りたかったのだが、私が説得してセカンドに回った。そこには、1つ下の名手竹内がいたが、バッティングが良ければ出場できるとして、親子でバッティングセンターに通い、春は自信喪失の中、公立高校と言っていたのが、選手権頃から実力でセカンドレギュラーをかちとったどころか打つは打つはで、後半戦は打率4割、長打もよく打った。親との約束を見事果たし公立にはいかずに地方の強豪校へ行くことになった。

 森颯馬は選球眼がよく、真面目で、チームのことを考えるキャッチャーとして頑張った。打率もよく、守備はどこでも守れるセンス抜群の選手である。あとは、パワーが必要。でも、彼もまた最初は公立志望だが、スポーツ推薦で私学で野球をすることになった。

 西浦を忘れることはできない。彼は身体能力はチーム一だと思うが、そのパワーやスピードを生かすことが出来なかった。鳴り物入りで最初の年はホームランを打つなど活躍したのだか、本当はもっと遊びたかったと思うが、練習は真面目に来ていたし、一生懸命だった。

 齋藤も足は速く、運動神経は良いのだが、野球をまだまだ覚えることが出来なかった。最高学年から春は活躍したが、後半は勉強中心となり、調子を落とした。しかし、いい高校に進学できたのだから高校でもっと野球を頑張ってほしい。

 彼ら4人は、大阪市内組だけど、よくさぼらずに練習に参加してくれた。真面目なんです。

 対称的に村上は、練習をよくさぼっていた。そんな印象の子どもであったが、3年の後半は吹っ切れた。練習にも参加するようになり、東大阪大会では、全国出場のナガセとの一戦で、普通の球場では、楽にさく越えするほどの大きな当たりを打った。打撃が開眼した。後半の勝利にかなり貢献している。ヒットも出た。この選手も終わりよければ全てよし、1年、2年の不振を払しょくする活躍であった。

 浅野は、1年2年は控えに回ることがほとんどだったが、それでもめげずに練習に参加、真面目に黙々と練習していた。また、お父さんとバッティングセンターに通い詰めて特訓の成果も出た。ヒットを打つことが多くなり、送球に難点があったが、克服し、よくアウトを取った。エラーもほぼなかった。うちのチームは歴代サードが弱点とされ、相手チームからサードに勝たせてもらったとよく言われたが、浅野は歴代、bPのサードとして次々と捕殺。最後は見事にレギュラーを飾った。高校でも野球をするという。

 山本、松本、三宅の中もず組も練習を休むことなく真面目であった。山本は4番を打つなど直球にめっぽう強く、長打力のあるバッターに成長した。最後の最後にカーブ対策を覚えてくれた。

 三宅は途中で肘を壊し、3年の大会は棒に振ってしまったが、休まず、ランニングに明け暮れた。松本は投手として数度勝利投手となった。いい球を投げることができるようになった。彼もまた、黙々と走り込みを続け、真面目さが活躍につながった。三宅も松本も高校では、私学で頑張ってくれることだろう。

 小川は守備のセンス、特に外野の守備は歴代1であった。バッティングで一時は悩み続けたこともあった。選手権までは守備固めで控えに回ることが多かった。後半は、外野からショートを任され、楽しそうに守っていたのが印象的であった。それと大会でヒットやタイムリーも打った。また、守備ならどこでも守れるであろう。高校でも野球をぜひ、やってほしい。もっと体力がつけばバッティングも開眼するかもしれないので真面目にやれば出来ると思う。

 最後に大場のことについて、彼ほど野球マインドを持った選手をうちのチームで見たことがない。高校は地方であっても公立なので受験があったのだが、3年引退後もずーとグランドに来て手伝いやトレーニングをしに来ていた。こんな選手はうちでは初めてである。ひ弱だった1年の時、彼が大会で7回を完封すると想像できただろうか?完封勝利など、3年中盤には投手としての地位を確立するようになった。鳥取で頑張るのだという。きっと大場なら、その真面目さとひたむきさがあれば、活躍できると思う。

私の理念を6期生が形にした。そして、真面目さに勝るものはないということを
 そんな彼らが私たちに教えてくれたものは、真面目に、そして、ひたむきに前を向いていけば、何とかなるということを6期生は教えてくれた。私の理念を証明してくれた6期生を誇りに思う。

 だが、高校野球はそんなには甘くない。中学とは違い多くの選手が集まってくる。これこそが競争のスポーツだから。でも、君たちは少なくとも中学で、下の学年からの突き上げにも負けず競争を勝ち取ったのだから、これからも頑張ってほしい。

 また、いつでも相談には乗りますので体だけは気を付けてください。私にとって、私が保護者を意識して意図的に「誘導」した最後の思い入れのある学年、それが6期生です。

 私の檄メールとか、発言に親御さんたちも心が折れそうになったこともあったでしょうが、卒団して、そして高校生になる彼らを見て、最後はうちのチームをどう思っているのですか?きっと子どもたちはよかったと思っていることでしょう。では、さらば6期生。