選手カルテ1 選手物語@-2 選手の成長と保護者愛情考

一生懸命に 技術向上とともに

 草太の野球レベルは、ゼロからのスタートでした。なにせ野球を本格的にやったことがない少年でしたのでバッティングは全然でした。ボールがまともに飛ぶことはなかったと記憶しています。それで、足が速いことから左で打つように私が指示しました。このレベルなら右も左も同じなので足を武器にしようと言いました。でも、なかなか上達しません。草太も左で打つのが嫌だったのではないでしょうか?私の息子は左利きなのでしきりに左の打ち方を教えてほしいと私の息子に聞いてきたそうです。私の息子はこの時、マシンの球をすべて空振りするくらいのヘタくそでしたが、左の打ち方を聞いてきたというのですから、よっぽど草太は悩んでいたのでしょう。でも、たまにはライトのネットに当たるくらい飛ぶようになってきました。
 守備は、内野希望でしたが、足の速さをいかすためにセンターを守らせました。最初は、ぎこちなかったのですが、とにかく、一生懸命にボールを追いかけました。ライトやレフトよりの間を抜けるボールを全部センターの草太がとるようになってきました。全力疾走で追いかける草太の守備は抜群にうまくなりました。

自信が草太を一歩成長させた 

 この頃から自信がでてきたのでしょう。年末のOBソフトボール大会のときには、小学部のお母さんが持っている荷物に気づいたら遠くから真っ先に走ってきて、「僕が持っていきます」と優しい性格が表に出せるようになってきました。気を使うということを覚え始め挨拶もできるようになってきました。
 2年生の3学期ごろには守備も外野はセンターへ飛んだらほぼ間違いなくアウトをとれる、ベンチの信頼がある選手に成長してきました。バッティングはぼちぼちでしたが、やはり足が速いため、盗塁もできるようになってきました。自信が草太を成長させたのですが、それは一生懸命に練習をやってきたからでした。

 最後の試練 Jボーイズをやめたい

 順調に成長し始めた草太でしたが、野球に自信がついてきたため草太は毎日野球がしたくなり、中学部の野球部に顔を出すようになりました。私たちには内緒でした。ただ、年が明けて、2月くらいのある日、草太から電話がかかってきて、中学の野球部と一緒に練習してもよいかと聞いてきたのでした。私は、突然でしたが、硬式と軟式ではボールの重さと球質が違うから守備はあまりしない方がよい、とくに投げるのは注意しなさいと言いました。しかし、その後、草太はJボーイズの練習をよく休むようになってきました。
 草太のお母さんがある日、平日の夜間練習にきて、草太に中学の野球部はほどほどにしてJボーイズに集中するように諭してほしいといわれました。この時は、あまり気にとめていなかったのです。
 しかし、春休みのある日曜日、草太が監督に風邪で休むと電話してきたのです。偶然、私は草太の母に電話をする用事があって、ついでに草太の病状を聞いた時、母からユニフォーム姿で練習に行くといって朝、家を出たことが分かりました。つまり、ずる休みがばれた瞬間でした。それからが大変、お母さんとお父さんは仕事から帰ってきて、草太探しが始まったそうです。ようやく、昼過ぎにみつかり、事情を聞くと草太がJボーイズをやめたいとと言い出したのです。
 チームでは、当然、監督は怒りました。監督はずる休みでもとくに、嘘をつく人間を許しません。かんかんでした。でも私はチームの運営者でもあり、草太が大好きだったので本人の意思もあるが、絶対に辞めさせたくはなかったので、色々と悩みました。

親がしっかりしていた 真の親の愛とは   

 この時、草太のお母さんは、きつく草太を叱りました。Jボーイズを途中でやめることは許さないと草太に伝えたのです。、
 お母さんが全然、ぶれていないのです。私は、お母さんが草太をかなり甘く育ててきたと思っていたので、また、通常、子どもが野球を辞めたいといった場合は、選手の言うことを聞いてしまうのが通常の親と思っていました。
 しかし、絶対に辞めることは許さないという、こんなに鋭く、しっかりとしたお母さんの姿勢に感動しました。お母さんの理由は「Jボーイズで野球を覚えて、監督以下、みんなにお世話になって、ここまで成長してきたことに対して感謝の気持ちをもちなさい、今、辞めることはみんなの思いを踏みにじることで、あなたが簡単に思い付きだけで決めれるものではない」という趣旨でした。
 私と話をしたのは、ずる休みした4日後の3月24日の火曜日の夜でした。私の家にお母さんと草太がやってきました。誰にも気づかれたら行けないと思ったので息子を接骨院行かせ、気づかれないようにしました。その日の午後に大泉母と草太で中学に行って野球部の顧問に対してもけじめをつけ、その後で、私に報告に来ました。私は、草太に言いました。「俺はお前の天性のスピードに期待している。私が教えられないものを持っている。もっと真剣に野球をやってほしい。プロに行くなら、チームではお前がその可能性を持っている」と告げました。草太も嬉しかったみたいで、その時のことを卒団式で秘話として語ってくれました。チームメイトは誰一人、草太がJボーイズを辞めるといったことを最後まで知られずに来ました。
 私にとっても貴重な体験となりました。やはり、子どもが辞めたいと言ったとき、親がどこまで、真剣に子どものことを考えて、しっかりと行動するかで、その後が決まってしまう。真の愛とは子どもの意見を聞くばかりではなく、時にはきびしく、そして愛情をこめて真剣に将来を考えてあげることとの実感を持ちました。

 自分で考えて行動 そして、後輩の指導もできるように

 草太は、監督にもお詫びをして頑張ることを誓ってくれました。それからは、吹っ切れたように練習にも試合にも頑張って、苦手だったバッティングでもヒッが出るようになりました。東大阪大会では、草太がライトオーバーを放ちました。ボールは放物線を描いて高く飛んで行きました。私は思わずゴルフドライバーショットと錯覚しました。水野コーチに「オイ、水野、よう飛んでるぞ」まるでゴルフボールを見るように告げました。となりの監督が「大泉、走れ、走れ」と叫んでいるので我に帰りました。見ると1塁ベース前で、草太も自分の打ったボールに見とれていて走っていなかったのです。スタンディングスリーベースヒットで悠々3塁セーフでしたが、打った瞬間走っていれば、ランニングホームランは間違いなかったでしょう。幻のJボーイズ第1号ホームランとなりました。(公式戦でJボーイズはホームラン0)
 3年生になった草太はミニ合宿でも、長野合宿でも、その態度で監督を唸らせました。見事、副キャプテンとしてチームをひっぱるようになっていました。選手に指示を出し、そして、行動も自分で考えて、テキパキと動き、後輩たちを指導するまでになりました。
 合宿の引率に来ていた、大泉母に対しても「注意?」できるくらい立派な選手へと成長したのです。1年前の草太を想像することができないくらい1年で大きく成長しました。

 草太よ もっともっと成長して がんばれよ

 私たちが草太と出会って2年あまり、実質的な指導は1年と4カ月でしたが、本当に野球選手らしくなりました。姿も忍者ではなく、立派な野球選手となり着こなしもできるようになりました。これからが、本当の試練です。高校へ行ってもJボーイズでのことを思い出し、糧として、次なる試練を乗り越えてほしいと思います。高校でも人気者になると期待しています。

 この連載を快く了承していただいた大泉母に感謝申し上げます。今、思えば、本当にお母さんのご尽力がなかったら、ここまで草太が成長できなかったと思います。

 最後に大泉母からのメールを紹介します。今後とも草太の良き応援団として私はいますのでよろしくお願いします。


 こんにちは、大泉です。入試は草太曰わくなので、あまりあてになりませんが試験はちょっと難しかった、作文は書けた、面接も大丈夫だったそうです。今週からまたジャガーズ(大泉母はJボーイズのことをジャガーズと呼んでいます)に行くと言っていますので詳しいことは草太が報告すると思いますが、作文の題は、効率的とは?を実体験をもとに述べよ。面接は5人一組で、ほとんどが、〜できますか?の質問に、はい、と答えるだけで、あとは、野球部に入部するにあたっての心構えを聞かれたそうです。受験生は野球部だけで35名。受験当日は、門のまわりで先輩方が出迎えてくれ、後輩にエールを送っていました。草太は、佐野さんと監督に連れて行って頂いた際の先輩が名前を覚えて下さっていて、大泉頑張れよ・と言ってもらえたらしく、嬉しそうにしていました。監督も名前を覚えてくださっていたらしく、驚きました。
 試験を待つ間、仲良くなったお母さんから色々お話を聞いたのですが、一年生の頃から志望校を決めていたという方もいて驚くことばかりでした。
 ですがつくづくジャガーズに入れて頂いてよかったァと痛感。ジャガーズは本当にいいチームですね 受験生は、みんな大きくて強そうな選手ばかりにみえ、草太はこれからが大変だなと思いましたが、草太は物怖じしないでケロッとしています。明日発表なので通知が来たらまた連絡します。
これからもどうぞよろしくお願いします。

 ※この2日後に合格メールをいただきました。